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度器物語

2007/7/31

度器ってなに?

弊社の社名である「日本度器」という名前を口頭で伝えると、必ずと言っていい程「日本土器」と書かれてしまいます。それ程に度器という言葉が日本語の中から消えてしまっている事に不安を感じ、このページを作る事にしました。

皆さん「大宝律令」(701年・大宝元年)は知っておられると思いますが、この律令でわが国初の度量衡制度を定められた事をご存じの方は少ないのではないかと思います。 国家として政府が税を徴収する際には、数量や大きさを測る為の全国的に統一された基準が必要な事はお解り頂けると思います。

大阪の1升と東京の1升の量が違えば経済取引は成り立たないですよね。  大宝律令では、度量の単位と換算方法が規定されていました。また、それぞれの基準になるものも配布されていたそうです。

設立当時の商標登録
設立当時の商標登録
昭和初期の社用封筒
昭和初期の社用封筒

1875年・明治8年「メートル条約」が成立した年に「度量衡取締条例」が公布され度量衡という言葉が一般的になりました。

「度量衡」の度とは長さ、量とは体積、衡は平衡の衡です。てんびん秤はご存じでしょうか。一方の皿に量りたいものを乗せ、他方におもりを乗せて左右のバランスがとれた時のおもりの重さによって重さを量る秤です。このてんびん秤の原理から、衡は重量を表す言葉になりました。

つまり度器とはものさし、量器とはます、衡器とははかりの事なのです。

1891年・明治24年には「度量衡法」が公布されましたが、当時はまだ尺・貫の時代でした。

1921年・大正10年の4月11日にメートル法に統一する「度量衡法」が公布されこの日を度量衡記念日と定められました。くしくも、この年に日本度器株式会社が設立され営業を開始しています。

1951年・昭和26年に度量衡法が廃止され、計量法(現在の旧法)が公布されました。この時から度量衡という言葉がだんだん使われなくなり、度器という言葉の死語化が始まったのではないかと思っています。

1970年代の巻尺
1970年代の巻尺

1959年・昭和34年にはメートル法を全面採用し、尺貫法は廃止されました。

1966年・昭和41年に計量法が大幅に改正され、それまで認められていた土地・建物についてもメートル法に統一されました。

しかし、現在でも尺や貫は文化として残っている所も有りますね。

たとえば土地の面積は坪で表す事が多いですし、建物の間口などは間(けん)で呼んだりします。また、現在の法律でも真珠の重さを表す単位として「匁(もんめ)」が認められています。

1993年・平成5年の11月1日に現在の計量法が施工されました。最近よく聞かれるようになった「トレーサビリティー制度」もこの時に創設されました。

以上、簡単に度器(計量)の歴史を振り返ってみましたが、少しは度器のことを解って頂けたでしょうか。

また、私の浅薄な知識で綴った文章ですから間違いもあるかもしれません。もし度器の歴史に詳しい方がおられましたら、ご指導をお願いしたいと思いますのでメールででもご連絡頂ければ幸いです。

日本度器株式会社 藤田 眞弘